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 パタニ・異境の街

                             
第6章
 

  国道沿いの狭い敷地に立つ、色あせて崩れ落ちそうな赤煉瓦のモスクと、その隣に広がる、悪趣味で広大な中国庭園。 ここに、タイ南部で展開されている文化と文化をめぐる凄絶な対立が凝縮されているようで、僕は文字通り息をのみました。


 林姑娘の庭園は「林府姑娘聖墳」と名付けられ、悪趣味は悪趣味なりに、手入れがよく行き届き、その由来さえ知らなければ、 殺風景な国道沿いで、唯一、潤いのある風景に映っていたのかもしれません。


 敷地の中の小高く盛り上がったあたりに、その木は立っていました。 樹齢数百年のカシューの木は、太い幹から細かい枝がたわわに広がり、鬱蒼と生い茂る濃緑色の葉々が不吉な影を周囲に投げかけているようで、 僕は、その木を見つめながら、炎天下で、ふるえ、おののきました。 そして勿論、その木は、もう何百年にも渡って、不吉な影をこの地方の人々、マレー人であれ、中国人であれ、に投げかけて来たに違いありません。


イスラム・モスクの隣地に建つ林府姑娘聖墳(写真左)
           と林姑娘が首を吊った木(写真右)

   
 イスラム文化を否定するために命を賭した女が首を吊った木には、注連縄が巻かれ、中国人たちの参拝がたえません。 周囲の、イスラムを至上の価値とする人々をあざ笑うかのように、爆竹が鳴り響き、香が焚かれ、花々が捧げられています。


 クルーセ村の小さな食堂の、外に張り出したテーブルに着いて、モスクと中国庭園の両方を見渡しました。 それぞれの文化の集大成である信仰の場を見比べれば、この地域で両者の置かれている立場は一目瞭然です。 中国系住民の豊富な財力が、庭園の建設を可能にしたのでしょう。 経済を握っているのは中国人。土着の民であるマレー系住民は、安価な賃金で中国人に使われているという図式は、東南アジア全域で共通していることなのです。


 これはどちらが悪いということではなく、物質的な幸福の追求を是とし、必死で働いてその対価を得ることに価値を見いだす中国人と、 もっぱら精神性の高みを追求することに至上の価値を置き、金儲けを罪悪視するイスラム教徒との、文化の相違から不可避的に生じた現象なのですが、 その価値の置くところがあまりにも対照的であるため、また、はっきりと目に見える形で、経済的な優劣が出てきてしまうということのために、 激しい摩擦が生じてくるのでしょう。


  市内の北端を貫くアルノアル・ロードに、林姑娘を祀る中国寺院、霊慈聖宮があり、毎年、 陰暦の1月15日には中国系住民の間で祭りが催されています。 参拝客の多いことは、霊慈聖宮の向かいに建てられた大規模な休憩所と大型バスの駐車場を見れば充分想像がつき、 ここを訪れる参拝客は、その足で、クルーセ村の中国庭園にも足を運ぶのです。(終)

                               
                     

林姑娘を祀る中国寺院、霊慈聖宮

                   
             
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