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 パタニ・異境の街

                             
第3章
 

  パタニは、他のマレー半島の多くの街々と同じように、河口に発達しました。 クアラ・ルンプール、クアラ・トレンガヌ、クアンタン、バトゥ・パハ、そしてマラッカ。これらの街では、船は、河から海に出て行くのです。


 パタニ河に沿ってしばらく歩いてみました。橋のふもとに小さな公園があり、親子連れでそこそこの賑わいを見せています。 午後の日差しが容赦なく照りつけ、暑いのですが、それでも河から吹いてくる風が、少しでも涼気を運んでくれるのかもしれません。 公園の隣にはモスクがあって、夕方になれば、ここに信者が集まり、その日、何度目かの祈りを捧げるのでしょう。


 タイ南部最大の都市、ハジャイから南へ下ると、風景は劇的に変化します。タイ風の仏教寺院は視界から姿を消し、バスが数分走るごとに、イスラム教のモスクが目に跳び込んできます。 道を歩く女子高校生たちは、イスラム風の衣装を身にまとい、市場の女たちは、頭を黒いスカーフで覆っていてます。 ナコン・シ・タマラートからパタニまで、数時間のバスの旅の中で、ハジャイを過ぎた瞬間に、異境に来たのだという実感を持ちました。


 宗教のことはわからないけど、タイの仏教徒も、マレーシアのイスラム教徒も、絶対的な真理に身を委ね、敬虔に生きている姿は、確かに美しい。 例えば、田舎町でも、バンコクの雑踏の中でも、托鉢の僧侶の前に跪き、タンブンを行うタイ人の、生に対する謙虚さが、柔らかで、人を包み込むようなタイ文化を生んでいるのだとしたら、そこから学ぶことはとても多くあるような気がします。


 パタニ河に沿ってフィローム・ロードを歩き、ルディー・ロードで右に折れました。 パタニは観光客が訪れるような場所ではないけれど、このあたりの古い街並みは、街の歴史や成り立ちを感じさせて、とても興味深い。


 パタニの街も、中国人が作ってきたのです。それは、街の中心に広がるショップ・ハウスの連なりを見れば、一目瞭然でした。 古びたショップ・ハウスの2階は、外に向かって、なぜか扉のようなものが付いていて、それはシンガポールやペナン、あるいはマラッカなどの街で見たショップ・ハウスとまったく同じ様式です。 つまり、パタニは、福建人がその中心を作った街なのです。


 パタニ河の対岸を歩いてみました。岸辺には、色とりどりの漁船が停泊していて、マレー人の漁師たちが、漁の準備にいそしんでいます。 道の反対側には、間口が1軒程度の小さな雑貨屋や駄菓子屋が軒を連ね、店番をしている老婆たちは、突然闖入してきた怪しげな男に、とがめるような目を向けています。 河のこちら側は、マレー人の居住地なのです。


 河沿いの道から左に折れると、そこには伝統的なマレー・カンポン(集落)が広がっていました。 漆喰壁の新しい家々に混じって、木造の高床式の住居が雑然と並び、大人も子供も、涼をとるため外に出て、所在なく夕食までのひとときを過ごしています。


 一般の人々の日常生活の場に闖入しているのだから、歓迎されないことはわかっていても、刺すような冷たい視線は、やはりこたえます。 タイやインドネシアなら、好奇心でいっぱいの子供たちに囲まれて、いっしょに記念撮影という場面なのですが、 異形の姿をした僕がなぜここにいるのかという説明をしない限り、あるいは、たとえしたとしても、 カンポンの住民の警戒心がとけることはないのでしょう。

   
パタニ河に停泊中の漁船。 パタニの市場。 女たちはイスラム風に髪をかくしている。

 
  再び、橋を渡り、街の中へ帰って来ました。活気あふれる市場は、売り手も買い手もモスリム(イスラム教徒)で、マレーシアはコタバルあたりの風景を連想させます。 バス乗り場やソンテオウ乗り場をとりしきっているのは、あご髭をはやしたモスリムの男たち。


 アルノアル・ロードを歩いていたら、突然、中国風の寺院が目に入りました。赤い柱に太い梁、緑色の瓦屋根の上には龍の彫刻がほどこされ、暗い内部から、香を焚く煙が流れてきます。 平日の昼間でも、参拝に訪れる中国人たちで賑わっています。


 林姑娘(リム・コーニオ)は、ここに祀られているのです。



              
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