パタニ・異境の街
第1章
パタニについては、およそ悪いイメージばかりが先行していました。この街の印象を決定的に悪くしたいちばん大きなできごとは、横浜の大学に留学していたSさんが、この街で、押し込み強盗の被害にあい、絞殺されたという事件です。
事件は、パタニの大学の付属高校で英語を教えていたSさんがタイに帰国してから1年後に起こりました。キャンパス内の教員用宿舎の彼女の部屋に強盗が侵入し、発見した彼女が叫び声をあげたところ、喉を締められ殺害されたのです。
パタニは危険で、ひとりでは街を歩けないと、いつも彼女は嘆いていました。キャンパス内がいちばん安全だから、普段は、キャンパスから出ることはめったにないと言っていたのに、そのキャンパス内で悲劇は起こりました。 たまたま、寄宿舎の改築工事中で、工事に携わっていた現場作業員の犯行だったのです。タイのディープサウス、パタニの街
マレーシア国境に近く、タイのディープ・サウスと呼ばれる4県のひとつ、パタニは、人口の8割近くをマレー系のイスラム教徒が占めています。宗教も、文化も、言語も、生活様式も、根本的にタイ人と異なる彼らは、タイ人の支配に満足することなく、かねてから分離独立運動を展開してきました。東西の冷戦が終結し、国際共産主義運動が衰退したいまとなっては、タイの中で、もっとも敏感な地域と言われる所以です。
初めてパタニを訪れたさい、当時のタイ語の先生から、タイ人や華人に対するテロや誘拐が頻繁に起こっているので、くれぐれも注意するよう促されました。また、そのとき滞在した漁村の、中国系の網元一家からも、話はたっぷりと聞かされているのです。
パタニについては、さらに悪い噂があります。
かつて、ベトナムからのボートピープルを狙う海賊が横行したことがありました。マレー半島東海岸に流れ着いて来るベトナム難民を襲うのは、このあたりの漁師たちの一部だという噂です。漁のさいちゅうに、難民を乗せたボートを見つけると、襲って金品を奪っているということなのですが、真偽については確かではありません。
基本的に彼らは、その国籍だけを除けば、マレーシアのマレー人となんら変わるところはないのです。マレー半島東海岸のマレー系マレーシア人の善良さ、その街々の、平和で安全であることを、僕はよく知っています。
ただ、中国人との確執、彼らから見れば、搾取しているのは中国人なのだから、一部の不心得の者たちが、ベトナムから逃げてくる中国系難民を襲っているという噂が出たとしても、けっして不思議ではないような事情は秘めているのです。
また、経済的な搾取以外にも、この両者の間には、文化的、宗教的に、どうしても相容れないものがある。イスラムと仏教、あるいはむしろ、イスラムと儒教、イスラムと道教という対立の図式が、生のまま存在していて、それが、狭苦しく、貧しい地域社会の中で、小さなパイを奪い合うような形で葛藤している。
話は16世紀にさかのぼります。林道乾(リム・トーキエン)と林姑娘(リム・コーニオ)の、文化と文化の衝突をめぐる凄絶な物語です。 そして、その凄絶な確執が、数世紀という時を経たいまでも、けっして薄らぐことがなく、息苦しくなるような重みでこの地方を支配しているように感じられたのでした。
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