イスラム教徒の墓地を初めて見た。偶像崇拝を徹底的に否定するモスリムらしい簡潔さで、予想通りと言えば言える。
そもそも、モスリムたちは墓参りなどをするのだろうか。メッカに向かって欠かさず行う一日5回の礼拝と、祖先や家族の墓参りと、彼らはどちらに重みを置いているのだろうか。この墓地の、あっけからんとした簡潔さの中に答えはあるのだろうか。
サイブリ村のイスラム墓地
同じタイの中の、避暑地として有名なホアヒン郊外で、対極にあるような墓を見たことがある。墓地の中に、人が住むには小さいがミニチュアと呼ぶには大きすぎる家。部屋の中には、同じような比率で縮小された家具が置いてある。玄関の扉には、若い女性の写真。家ではなく、若くして死んだ女性の墓なのだ。
この世ではかなえられなかった幸福な生活をあの世で味あわせてあげたいという親心には、しかし想像力のかけらもない。
香港の万佛寺でたまたま見かけた若い男性の葬儀では、段ボールで作ったカブリオレの車と、そこに収まる段ボールの新郎新婦。「幸福な生活」のイメージを物質化することでわが子を弔おうとする親心と、物質の中に神はいないと断言するイスラム教徒たち。
物質化と精神性。亀裂は深いのだ。
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