当時、ポムの一家はタイ南部の街、ハジャイに住んでいました。ポムの母親、パオは、僕の友人のお姉さん。なかなかの美人です。
ある日、パオの運転する車に乗っていたときのこと。急なカーブが続く坂道で、突然、「わたしの運転、下手でしょう。」と同意を求められました。「そんなことないよ。」とお世辞で答えたら、「実は、わたし、免許を持ってないの。」と打ちあけられ、仰天したことがあります。「バンコクではそうはいかないけど、ハジャイでは大学の教員証を見せると、たいていのことはだいじょうぶなのよ。」と、屈託なく笑っていました。彼女は大学の先生だったのです。
また、別の日のことですが、ハジャイからサイブリの漁村へ向かったことがありました。パオに案内され、サイブリ行きのミニバスに乗ったつもりが、着いたのはなんとヤラーの街!
タイ人のマイ・ペンライ精神を多分にもつ彼女は、それでも大変魅力的な人だったのです。
ポムの父親も医学部の教授。プリンス・オブ・ソンクラー大学のハジャイ・キャンパスで教えていました。一家がお正月に里帰りしたときなど、バンコクのパオの実家でときどき会っていたのですが、ハジャイの自宅に訪ねるのは初めてのこと。キャンパス内にある教員用宿舎は、その後、一家がバンコク郊外に買い求めた大きな家から比べると、ずっと慎ましかったのですが、それでも、学食で昼食をとり、生協の売店で買い物をしたりしていると、タイの大学で勉強するという果たせなかった夢の疑似体験をしているようでした。
キャンパス内のパオ一家の宿舎にて。右側の女の子がポム。左が弟のパック。
当時のポムは、まだ小学校の2〜3年生でしたが、パオが常々、「この子はhigh energy の持ち主だ。」と評していたとおり、舌のよく廻る活発な女の子。僕はこの子の大ファンでした。
弟のパックは、お姉さんとは対照的に、なんでもじっくり考えてから行動する秀才タイプ。お父さんの後を継いで、お医者さんにでもなるのでしょう。
ハジャイでは、「宵っ張りの朝寝坊」という僕に合わせて、ポムもパックも、夜遅くまで、トランプ遊びに付き合ってくれたものでした。タイ人のホスピタリティは、こういう子供時代から育まれるのだということを身をもって体験したのです。
パオはその後、二人の子供をバンコクに残して単身渡米し、運転免許と博士号を取得しました。
時が経つにつれ、それぞれの人生が大きく変わり、もう二度とポムやパックに会うこともないのでしょうが、寒い冬の日など、折に触れ、ハジャイのプリンセス、僕が大好きだったhigh energyの女の子のことを思い出して、暖かい気持ちになるのです。
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