ライン





その6

【汕頭のこと】
 「広東から福建まで、沿岸部を行く遥かなる旅路の中で、最初に宿をとる町が汕頭(すわとう)なのだ。色彩豊かな、活気溢れるこの町は、北は潮州にまで拡がるユニークな地方文化の中心地でもある。」(Lonely Planet 「CHINA」)

  横浜の人間にとって、汕頭という地名には、なじみ深いものがあります。中華街などで売っているスワトウもののスカーフは、いまで言うブランド品の代表で、子供の頃から、どこの国のことかはわからなくても、「スワトウ」という地名がエキゾチックな響きを持って、耳の中に入ってきました。

 大人になって、「汕頭」という言葉の意味がわかり、高価な、本物のブランド品が買えるようになると、興味はあっという間に失せて行き、いつかその地名さえ忘れるようになりました。

 その汕頭という街が、再び僕の中で大切な意味を持ったのは、初めてバンコクを訪れてからのことです。タイやバンコクの歴史を学ぶようになり、僕がほんとうに引きつけられるのは、タイの中の中国的な部分、つまりは華人たちが作り上げた社会や文化なのだということに気づいてからのことでした。

 バンコクの中国人は、その多くが、汕頭を中心とする潮州一帯に源を発しています。バンコクは潮州人が作り上げた街なのです。トンブリ王朝のタクシン王は潮州人であり、バンコクの発祥から今日に至るまで、多くの潮州人が街の発展の過程で、決定的な役割を果たしてきたのです。

 エキゾチックなスカーフの魅力は失われたとしても、バンコクを作り上げた人々の故郷を見たいという欲求は、少しずつ膨らんで行きました。そしていま、その街に降り立ったのです。

汕頭の古い市場


【汕頭の街】
 国際大酒店という5つ星級のホテルには、屋上に回転レストランがあって、このレストランから街を見おろすと、街の発展の歴史が一目瞭然です。街のオリジナルな部分は、西南部の大港に接するあたり。時代とともに街の外縁が、港から北東部に拡大して行き、街を東西に貫く金砂路と東厦南路が交わるあたりが、いまの街の中心でしょうか。このホテルも、その界隈にあります。

 このホテルのすぐ西南側には、文革以前の、古い、規格品の集合住宅が密集していて、その頃は、まだこの一帯が、港で働く労働者たちの住宅街だったということがわかります。いま、街は、このホテルの北東部を中心に発展しているようです。

 街に着いて、ミニバスに乗った僕は、街のオリジナルな部分に向かっていました。今宵の宿に選んだ新華酒店は、まさにそのあたりにあるからです。賑やかな表通りから、古い、くすんだ一画に入って行くと、やがて、バスの車掌が、このあたりだよと合図し、降りるように促しました。

 降りたったのは、安平路と民族路が交わるローターリーの前。そこで、僕は愕然としました。

 目の前に、バンコクがあったからです。

バンコクではなく、正真正銘の汕頭です。




トップ アイコン
トップ

ライン