その4
【マカオの街】
マカオの2日目。お昼前からなんとか晴れてきました。雨でほとんど潰れてしまった前日のブランクを回復するため、シティ・ツアーを申し込み、半日のバス・ツアーに乗り込みました。これで、とりあえず、主な観光地は効率よく廻ることができます。
ツアーのメンバーは、僕以外はすべて欧米人。オーストラリア人の老夫婦と、イギリス人の女性二人組。あとは、すべてポルトガル人という構成で、ああ、マカオはポルトガルの植民地なのだなあと、あらためて認識しました。
このツアーで、街の輪郭をつかんだ後、自分の足と路線バスを駆使して、マカオの街を探索しました。マカオについては、「格落ちの香港」という先入観があったのですが、香港とはまるで違う、それはそれで、とても魅力的な街。むしろ、60数キロという近距離にあり、欧米列強の植民地支配という同じような歴史を歩みながら、これだけ異なる風貌を持つに至ったということが不思議なくらい。
香港は、1949年以降、アジアの中心都市としての役割を引き受け、また、大量の中国難民の避難場所としての重荷も引き受けてきた。そのふたつの特殊要因が絡み合って、今日の香港を作り上げたのでしょう。そういう意味では、香港はまさに唯一無二。香港と似た街など、世界中のどこにも存在しないでしょう。
マカオは、ポルトガルの影響下にある中国人の街という点で、マレーシアのマラッカにも似ています。丘の上のカトリック教会の遺跡や、赤やピンクの欧風建物など、外観的には、確かにマラッカを思わせます。もっとも、マカオの基底には南中国の厚みある文化が横たわっているのに対して、マラッカのそれは、圧倒的なマレー世界、という大きな違いはあるのですが・・・。
マカオの近代的な貌。しかし天気が悪いですねえ。
マカオは、なにしろ坂の多い街。坂に沿って、細い路地がうねるように続き、その廻りには、古い集合住宅が連なっています。古い集合住宅といっても、難民アパートのようなものではなく、南欧風の異国的な雰囲気があり、どの窓にも、円形のバルコニーが着いている。
マカオはとても小さな街で、1日で歩き尽くすこともできるくらい。中心的な通りは、新馬道(Avenida Almeida Ribeiro)で、この通りが南部の半島部と北部の内陸部を分けています。 僕がいちばん気に入ったのは、半島部東側の海岸沿い、西灣街から南灣街に至る道。夕暮れどき、この通りを歩いていると、タイパ大橋やタイパ島が目前に美しく広がり、南シナ海から吹いてくる海風が心地よい。
この通りの中ほどに、洒落たバーやレストランが軒を連ねる一帯があり、派手なカブリオレの車などが店の前に停まっています。湘南海岸のような華やかさもあって、「アリのカレー・レストラン」のオープン・テラスで飲んだコーヒーは、格別な味がしました。
マカオの街の中心、セナド広場もとても魅力的な場所。街の中心にありながら、庶民的で、近所の人たちが、一家で夕食後のひとときを楽しんでいます。ポルトガル風の異国情緒溢れる広場の貌と、そのすぐ裏には、細い、いかにも中国的な路地が繋がっている。今まで訪れたアジアの街の、どこにもない光景でした。
マカオの中心、セナド広場。レイド・バックした雰囲気がとてもいい。
そのマカオも、1999年には中国に返還されることになります。1997という数字は、アジアにとっては、たいへん大きな意味を持っているのですが、1999年には、このマカオでいったいなにが起きるのでしょうか。
【※5年前の印象なのですが、マカオには未だ再訪の機会がありません。しかし、中国人の強靭さを考えれば、香港と同様、人々も街も、きっと大丈夫なのに違いありません。】
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