【新界の旅】 2日目は香港の郊外、新界の錦田(カムティン)に行きました。新界へは、たいてい1日がかりの旅になってしまいますが、長州島やランタウ島と同じくらいに興味あふれるところです。香港というよりは中国に近いのかもしれませんが、成熟した中産階級の人々の日常生活に触れることのできる場所として、また、世界史に登場以前の香港の歴史を垣間見ることのできる場所として、香港でも中国でもない、独自の貌をもっています。
ホテルを出るとまず、スター・フェリーに向かいました。新界とは反対方向なのですが、なにはともあれ、スター・フェリーに乗りたかったから。そして、セントラルで地下鉄に乗ると、ツェンワン線の終点ツェンワンに行き、2階建てバスに乗り換えて屯門(テュエンムン)へ。屯門ではすぐ軽便鐵路(LRT)に乗りました。
軽便鐵路は近代的な装いをした路面電車。渋滞がないので心地よくはあるのですが、なにしろスピードが遅い。駅の数も多くて、ミニバスなどから比べるとずっと時間がかかります。それでも、日曜日のせいか、郊外に繰り出す団地族といった人たちで、どの電車も満員状態でした。
この路面電車で元朗(ユンロン)へ向かいました。元朗は、新界の北西部の中心的な町。新界の中でも、開発の歴史は古いほうで、沙田のニュータウンなどから比べると、歳月を経て初めて醸し出される庶民的な風情が感じられます。
ここで、粽(ちまき)と、水餃子の昼食をとりました。粽は、日本では横浜の中華街で買って、ときどきは食べるのですが、中華圏では日常的な食べ物のようです。「貴の花」という名前の日本料理店があったので、よほど入ってみようかと思ったのですが・・・。なにしろ、漢字の名前の隣に、平仮名で「たかはなだ」とルビがふられているのですから。まあ、あながち、間違いとは言えないのかもしれませんが。
元朗は日本人観光客が訪れるところではないので、これは100パーセント地元民向けのもの。香港の人たちの間で日本料理は完全に定着した感があります。スーパーの食品売場では、店員がビニールの手袋をした手で寿司を握り、飛ぶように売れています。回転寿司もあちこちにあって・・・。そういえば、シンガポールでも同じような状況でした。
昼食後、再びバスに乗り、錦田(カムティン)へ。錦田は、香港にもこんなところがあったのかと思うくらいに牧歌的な村。街道沿いに鄙びた郵便局や役場があって、昔懐かしい。
新界郊外の古い住宅。南国的な明るさが特徴です。 この錦田では、城壁に囲まれた村を見ました。何百年も昔、北方から移住して来た客家の一族のコミュニティです。レンガの壁に囲まれた長屋建ての共同住宅で、いまでは、新界ツアーの定番コースになっています。このときも欧米人の団体が観光バスで乗りつけていました。
帰路はバスと軽便鐵路で屯門に戻り、そこから香港島のセントラルまで、高速のホーバークラフトで帰りました。セントラルまで約40分。九龍とランタオ島の間の狭い海峡を抜け、建設中の高速道路の下をくぐり、快適な船旅でした。軽便鐵路もホーバー・クラフトも、今回が初体験。あの小さなテリトリーにあらゆる乗物が揃っている香港の、乗物図鑑の最後のページをめくっているようで、興奮し、感激しました。
【※このときはまだ、香港島の半山地区(ミド・レベル)のヒルサイド・エスカレーターは完成していませんでした。これを制覇したのは、99年の3月でした。】
セントラルからは、再びスター・フェリーに乗り込んで、尖沙咀に帰って来ました。
  
|