【広州】
ロンリー・プラネットの中国版の少し前のエディションは、北京でも上海でもなく、広州を冒頭に掲げていました。欧米人は、広州から中国に入って行ったのです。
すでに紀元2世紀には、ローマ人とインド人が此の地を訪れていて、唐代に至る頃には、アラブの貿易商が、活発に中東や東南アジアとの交易を展開するようになっていたと、かの有名なガイドブックは書いています。
広州は、中国の近代史の中でもしばし重要な出来事の舞台になっていて、洪秀全や孫文は、いずれも広州近郊の村に生まれています。排外主義がピークに達したかに思える文革の時代でさえ、この街は、常に外の世界との接点だったのです。
今日の広州は、開放政策が浸透していて、社会主義の時代が、毛沢東と同様に、すでに歴史の彼方の出来事であったかのよう。賑やかな街の一角は、漢字の字体の相違さえ気づかなければ、香港と見間違うくらい。
ただ、香港の華やかさ、洗練されたあでやかさは、この街にはありません。多分、中国のどこにも、あるいは、アジアのどの街にも、それはないのでしょうけど。
僕にとっての広州は、「香港がああなる前は、きっとこうだったに違いない。」と感じさせてくれる街です。香港が、いまは多分、失ってしまったに違いない胡散臭さをたっぷりと抱え込んだ街。夜の闇が、まだ街のあちこちに陰影を与えていて、その暗がりの中には、人々の欲望や狂気じみた妄想が渦巻いている。
夜の珠江の、暗く深い水面に揺れる対岸のネオンに、妖しげな、支邦の夜を見てとるのは、多分、もう30年も前に、灣仔あたりで人々が感じていた異国情緒と共通しているのかもしれません。
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夜になるとネオンの明かりが妖しく揺れる珠江沿いのプロムナード |
【愛群大厦】 夥しい数の流民の群が広州駅前にたむろし、その騒然とした雰囲気に圧倒されたものでした。民航バスで駅前に降り立ち、足がすくむような気持ちに襲われたのは、まだ2年前のこと。
今回は、空港からタクシーに乗り、そのまま「愛群大厦」という珠江沿いのホテルに向かいました。このホテルは1937年開業の比較的歴史のあるホテルで、珠江を真下に見降ろすそのロケーションは、広州のホテルの中でも特筆もの。
広州に立ち寄ったいちばん大きな目的が、実は、このホテルに泊まること。リバー・ビューの部屋から眺める珠江の景色は、中国旅行の最後を飾るのにふさわしい。値段も、地方都市の華僑大履と同程度。広くて快適な部屋が2〜3千円ぐらいでしょうか。前回初めて泊まったときから、すっかりこのホテルのファンになってしまいました。
建物は、旧館と新館が脈絡もなく繋がっていて、新館の屋上には、中国人の大好きな回転レストランが、朝早くから夜遅くまで、くるくると廻っています。ホテルを出ると、その前面は沿江西路で、珠江沿いのプロムナードは広州でいちばんのデートコース。
ホテルの裏手は、賑やかな長堤大馬路が走っていて、レストランや映画館、香港ブランドのブティックなどが密集しています。広州でもっとも賑やかな西濠二馬路は、ホテルから歩いて1〜2分のところ。
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左手が愛群大履。リバービューの部屋からの眺めが最高です。 |
愛群大厦の魅力と広州の街のイメージが、僕の中ではしっかりと結びついていて、この後、何度広州の街を訪れたとしても、きっとこのホテルに泊まることでしょう。(つづく)
  
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