第3章 タイ

 
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「待ってくれ。」
信也が叫んだ。

「まだ知りたいことがある。このままでは、死んでも死にきれない。」
「いいわ。なんでもききなさい。どうせ、あとしばらくの命よ。」
そう答えて、スワンニーは手近にあった椅子に腰掛けた。

「奈津子のボーイフレンドはここで殺されたのか?」

スワンニーはうなずき、中国語でアジズに説明すると、アジズも簡単にうなずいた。

「ここは北パタニ・イスラム解放戦線という、イスラム教徒の分離独立組織の兵器工場なんだよ。まあ、見てのとおり、工場というほどのものでもないんだが。組織そのものも、名前ほど立派なものじゃない。百人ほどのメンバーが、農業のかたわら、ときおり、街に出て爆弾を仕掛ける程度のことしかやっていない。このての組織はいくつかあるんだが、どこも似たり寄ったりだな。年々政府軍に押されて、活動も鎮静化しつつある。それでも、タイ人たちに一矢報いたいという気持ちは、誰の心にも根強く残っているのさ。

「あの日本人がやってきたのは、去年の八月頃のことだ。よりによって、爆弾を作っているところにのこのことやってきた。
「俺がいれば、あんなことにはならなかっただろう。日本人の学生が近所の村で研究活動をしてるという話は、妹を通じて聞いていたからな。

「あいにく、奴が迷いこんできたとき、事情を知ってる人間が誰もいなかった。たいていのマレー人にとっては、日本人も中国人も同じようなものさ。ここでは、中国人は、タイ人以上に嫌われている。マレー人を政治的に支配するのはタイ人だが、経済的に搾取するのは中国人だからな。このあたりの漁村の網元はみな中国人さ。連中の住んでる家とマレー人のカンポン(村落)とを比較してみろよ。搾取がどれだけひどいものかわかるはずさ。」

「それは違うでしょ?」
スワンニーが笑いながら言った。

「ようは、どれだけ必死に働くかの問題じゃない? わたしは多分、タイ南部でいちばん裕福な人間なんでしょうけど、最初は、ここのマレー人よりもハンディキャップを負っていたのよ。」
「まあ、いいさ。とにかく、あの哀れな日本人が迷いこんできたとき、連中は狼狽して、事情も聞かずに射殺してしまった。死体は、この小屋の裏手の森に埋めてある。」
「あんたとテロ組織との関係は?」
「分離独立組織と呼んでほしいな。」
「あんたと分離独立組織との関係は?」
「有力なメンバーといっていいだろう。」
「よくわからない。中国人のあんたが、どうしてイスラム教徒の分離独立運動に関係しているんだい?」
「たいした意味はないさ。こうなる運命だったとしかいいようがない。」
「中国人がイスラム教に改宗し、マレー人の分離独立運動に関係するというのは、それほどある話ではないだろう。」
「例がないわけじゃない。中国本土にもイスラム教徒は数多くいるし、このあたりにも、イスラム教に改宗した中国人は古くからいる。パタニで一番古いモスクは、イスラム教に改宗した中国人が建てたものだ。」

「その妹は大反対したのよ。兄がイスラム教に改宗することに。」
スワンニーが言った。

「中国にいた妹は、兄を説得するためにパタニへ出て来たの。でも兄は、妹の説得を無視してモスクの建設を始めたの。自分の決意が固いことを示すために。妹はそれを見て首を吊ったわ。それ以来、そのモスクは決して完成することはなかった。工事を続けようとするたびに、なにかの事故が起きて、結局最近まで、誰も工事を完成することができなかったのよ。」
「一六世紀の話だね。その頃から、俺のような中国人はいたのさ。もっとも、俺の妹は、首など吊らなかったが。」
「代わりに兄の運動を援助しているんだわ。」

「君が?」
信也がきいた。

「おかしな話よね。中国人のわたしが、マレー人のテロ組織を金銭面で援助しているのだから。それも保険の一種なの。彼らは、けっしてわたしのホテルや不動産には手を出さないわ。」

「イスラム教に改宗した経緯を聞かせてくれないか?」
信也は、今度はアジズにきいた。

「簡単な話さ。ここへ来てから、マレー人の女に恋をした。素朴で教養もない、村の少女さ。だが、荒んだ俺の心を、なぜか癒してくれた。俺はその娘と結婚したくなった。ものごころついてから、安らぎというものを経験したことがなかったんだ。だが、その娘となら、幸せになれそうに思えた。
「俺は、その娘の両親に結婚を申し込んだ。簡単に承諾してくれたが、ひとつだけ条件がつけられた。つまり、イスラム教に改宗することさ。イスラム教の女はイスラム教徒としか結婚できない。そういう規則があるのさ。俺は、その決まりに従った。

「モスリムの生活も、それほど悪いものじゃない。豚肉が食べられないとか、一日に何回もお祈りをしなければいけないとか、最初はとまどうこともあったが、たいした障害じゃない。生まれて初めて、信仰というものを持ったが、普遍的な真理に身を委ねてみるというのも、なかなかいいものだとわかったよ。
「俺はその娘と結婚して、平和な家庭を持つことができた。できれば、そのまま、善良な村人として埋没してしまいたかった。だが、状況はそれほど甘いものではなかった。

「あんたも気づいているだろうが、この地方のマレー人たちは、タイ人の支配に満足しているわけじゃない。分離独立というのは、非現実的な話なんだが、だからといって、タイ人に屈服したままでは連中の気持ちも収まらない。そんな風潮の中で、分離独立運動というのが続いているのさ。
「明確な戦略があるわけじゃない。嫌気がさして投降するものも後を絶たない。タイ政府は、投降者に対しては寛大な措置をとっている。それになにより、タイ経済全体の上昇のおかげで、このあたりの状況まで目に見えて良くなっている。分離独立すれば、もっとよくなるという神話を、今では誰も信じていない。俺に言わせれば、運動も風前の灯火というところかな。

「だが、こうした運動というのは、行き詰まれば行き詰まるほど、過激化していくものさ。はねあがりの連中の一部が、やがて、俺の経歴に目をつけた。

「ここへ来るまで、俺はマレーシア共産党でゲリラ活動をしていた。共産党がマレーシアを追い出され、タイの森の中へ逃げ込んで、山賊まがいのことをやってた頃だ。陳平書記長は北京で大名暮らしを続け、一般党員は、野犬を襲って飢えを凌いでいた。士気は最低で、投降するのも時間の問題だった。

「だが、俺にとって、そこは天国だった。当時の俺は、チェンライのビルマ国境付近で麻薬のビジネスに手を染めていた。だが、ある取引に関連して、俺は、組織と警察の両方から追われることになった。進退きわまり、タイに来て初めて、俺は妹の助けを求めた。その頃には、もう美鈴はこのあたりの女王様だった。美鈴は、軍のつてを頼って、俺をマレーシア共産党に送り込んだ。

「タイ国軍とマレーシア共産党との間には、対立関係以外にも、なんていうか、阿吽の呼吸で、同盟関係が築かれることがあったんだ。タイ・マレーシア関係が順調なとき、タイ軍はマレーシア共産党を締め上げる。だが、両国関係が微妙な時期になると、なぜかマレーシア共産党は潤沢になる。タイに逃げ込んでからのマレーシア共産党は、結局のところ、タイ軍の掌の中で踊っていたのさ。

「だが、そこは俺にとっては居心地のいい場所だった。組織の恐ろしさは身に染みてわかっていたからな。どんなシンジケートも、森の中の共産党のアジトまでは追ってはこなかった。共産党が投降するまでの何年間か、俺はそこでほとぼりを覚ますことができた。
「そして共産党が投降する直前に、俺は森を出た。あるルートを通じて、投降が間近いことを知ったのさ。山に籠っている間、美鈴は常に俺の動向を見守ってくれていた。俺には出来過ぎた妹というわけさ。」

「子供の頃は、優しい兄だったのよ。」
スワンニーがつぶやいた。

「地主の娘ということで苛められていると、いつでもかばってくれたのよ。成績も村では一番だったわ。でも、いったん右派のレッテルを貼られたらもうおしまい。徹底的に差別され、人並みの生活は送れない。
「地主といっても、解放前に、ほんとに僅かな土地を持っていただけなのよ。自分だけでは耕せない分を、親戚が手伝ってくれていた。それだけのことなのに、一九五七年に反右派闘争が始まると、親戚がわたしの両親を訴え出たの。地主として搾取したって。

「その親戚も恐ろしかったのよ。地区ごとにノルマがあって、割り当てられた数の右派をでっち上げる必要があった。自分が訴え出なければ、他人が自分を訴え出る。そんな雰囲気の中で、魔女狩りの嵐が全国的に吹き捲くったのよ。他人を殺して自分が生きるという、その後の風潮が、このとき始まったんだわ。

「文革が始まるまでは、まだよかった。両親は公共施設の便所掃除をやらされ、村人が通るとお辞儀をさせられたわ。それでも、家庭に帰れば、平和な生活があった。学校では苛められたけど、慣れっこになっていた。中国人はなにしろ忍耐強いのよ。国民党の時代や清朝の時代が、それほど幸せというわけでもなかったし。

「すべてを破壊したのが文革だったわ。毛沢東は飽きもせず、もう一度魔女狩りを始めたの。しかも、今度は徹底していたわ。国中が戦争状態になるまで、あの男は破壊しつくした。毛は、中国人民をまったく信用していなかった。人並みに幸せになりたいという人々の気持ちを、あの男は徹底的に憎んだの。自分は、中南海で皇帝の暮らしを送りながら、ささやかな幸せを求める人々の気持ちを、毛は絶対に許さなかった。

「わたしの両親は殺され、兄は下放された。わたしは香港に逃げて、売春婦になった。大躍進で何千万人を飢え死にさせた張本人が、飽きもせず、また暴挙を繰り返したのよ。毛に暴挙を許した中国共産党をわたしは絶対に許さない。周恩来であれ、誰であれ、わたしは絶対に許さない。」

 それでは、君はどうなのかと言いかけて、信也は口をつぐんだ。ハジャイで女帝として権力をふるう今の君はどうなのかと言いかけて、彼は口をつぐんだのだ。

 毛沢東の評価についても、彼はまた別の見解を持っていた。あの時代、アメリカやソビエトに屈せず、自主独立を貫いたことの意味を彼は理解できたのだ。しかし、それはあくまで、絶対に安全な立場にいる者の、能天気な評価なのだろう。美鈴の泣き顔を見ると、言葉にすることがためらわれるのだ。

「共産党がすべて悪いわけじゃない。」
アジズがつぶやいた。

「俺が人生を誤ったのは、俺自身の弱さのせいさ。あの時代、多くの人間が俺と同じ体験をした。だが、たいていの者は、文革が終わると、自分の生活を取り戻した。また、美鈴のように、悲惨な体験をばねに、はい上がった者もいる。俺は、逆境に弱かった。辺境に下放されたとき、俺は耐え切れずに逃げ出した。そして落ちこぼれ同士が集まってゴロツキ集団となった。

「俺たちは暴行略奪を繰り返した。無政府状態の当時の状況では、力があればなんでも可能だった。俺はとりつかれたように社会に復讐し続けた。だが勿論、そんな状況は長続きするものじゃない。武漢事件の後、解放軍が本格的に文革収拾に乗り出すと、事態は鎮静化し、俺たちは追われる身となった。

「何千キロもの長征を経て、俺は雲南からビルマに逃げ込んだ。そこでは国民党の残党が阿片栽培で生計を立てていた。ビルマ・タイ・ラオス国境の、いわゆるゴールデン・トライアングルと呼ばれる一帯さ。ここに何年間かいる間、俺は麻薬ビジネスを覚えていった。
「美鈴が香港で健在だと知ったのも、この時期のことだ。香港にブツを運んだとき、俺は美鈴を捜し出して、会いに行った。」

「呉玉清の売春宿にかい?」

美鈴がうなずいた。
「玉清おばさんの話にも出てきたわよね。路地裏で密会していた男というのが、兄だったのよ。」

「香港に行くたびに俺は妹に会いに行った。最初のときこそ怪しまれたが、二度目からは、こぎれいな格好をし、客として堂々と美鈴に会いに行った。ふたりとも辛い時期だったが、会っているとお互い勇気が沸いてきた。その後も俺たちは、出来る限り連絡を取り続けた。
「ハジャイに移った美鈴が成功していくのを見て、俺は喜んだ。香港時代は、不憫に思えてしかたなかったが、その苦労が報われたのさ。俺のことであまり迷惑をかけたくなかったが、結局は世話になることになってしまった。」

アジズは話し終えると、信也を一瞥した。

「もうよそう。あまり話していると、情が移って、次の仕事がしにくくなる。」

 アジズは義弟のモハマッドに合図した。モハマッドはうなずき、立つようにと信也を促した。

 信也は立ち上がり、アジズに続いて外に出た。戦慄が全身を貫いたが、美鈴を意識して、必死に耐えた。後ろを振り向くと、視線が絡み合った。

 彼女に対しては、不思議と憎しみがわいてこない。美鈴の視線にも、刺すような厳しさがない。どうしたの? というような眼差しで信也を見つめている。なにか言おうとして、信也は、言葉が見つからないことに気がついた。

 四人は、表に出ると、小道づたいに歩き始めた。車の通ってきた道が、小屋を境にずっと細くなって、森の奥へと続いている。奈津子の家庭教師、川本耕介も、同じようにこの道を連行されたのだろう。

 信也の後ろで、拳銃を突き付けているモハマッドが、突然立ち止まった。先頭を歩いていたアジズが、ジャウィ語でなにか問いただす。しかし、モハマッドは答えず、いま来た道の方向を見つめている。

 やがて、かすかだが、車のエンジン音が聞こえてきた。美鈴の表情に動揺が表れる。だが、彼女もアジズも優柔不断だった。エンジン音の正体を確かめるため、彼らはその場に立ち止まっていた。

 正体はすぐに現れた。闇を切り裂くようなヘッドライトが、最初に、四人の姿を浮かび上がらせた。美鈴は、まぶしそうに、腕で顔をふさいだ。信也は、目を細めて、車の方を見た。警官隊を乗せたジープが、ブレーキを軋ませ、小屋の前で停まる。その後から、二台目、三台目のジープが続いている。

 突然、信也の耳元で、爆発音がした。モハマッドが機先を制して発砲したのだ。本能的に、信也は身を伏せた。ジープから降りたばかりの警官が、その場に倒れ込む。モハマッドが続いて発砲した。

 もう一人、警官が倒れると、その場は騒然となった。警官隊が、いっせいに報復の発砲を開始する。信也は、倒れた態勢のまま、両手で頭を抱え、身体を回転させた。だが、モハマッドは見逃さない。いっせい射撃で蜂の巣にされながら、最後の気力を振り絞って、信也に狙いをつけた。第二波の集中砲火を浴びる直前、彼は引き金を弾いた。

 





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