第2章 香港
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一九七二年は、呉玉清にとってはいい年だった。娘は成長し、苦しい時代は過去のものになろうとしていた。手持ちの株券は高騰を続け、借金の返済に気持ちを擦り減らすこともない。美鈴(メイリーン)がきてから、商売はおもしろいくらいに好転した。看板娘のおかげで、店の評判は高まり、客足は一気に倍加した。
なかでも、美鈴は高く売れた。玉清は、美鈴のために特別の部屋を用意した。彼女の客は、それまでの客層とはまるで違う。ひとクラスもふたクラスも上の客が、美鈴目当てに通ってくる。玉清は、金鉱を掘り当てたのだ。
そんな折り、美鈴をめぐって、ちょっとした事件が起きた。小さな出来事だったが、それが美鈴の海外移住に際して、経歴上の傷となった。
事件は、その年の夏、雨上がりの蒸し暑い夜に起きた。しばらく前から、熱心に通いつめていた香港警察の下級警官が、美鈴に変態的な行為を要求したのだ。彼女は、客の要求を無視したが、男は執拗だった。逃げる美鈴を追いかけて、階下まで降りてきた。しばらく、台所で揉み合っていたが、逆上した美鈴は、その場にあった包丁で、客を刺した。
傷は浅かったが、相手が悪かった。店の用心棒たちも、うかつには手が出せなかった。美鈴は逮捕され、危うく実刑判決を受けるところだった。玉清は、あらゆるつてを頼って減刑を嘆願し、とにもかくにも、執行猶予の判決を勝ち取ったのだ。
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