【廣九鐵路で香港へ】
広州−香港直通列車は、前回に次いで2回目です。8時15分広州発、10時55分九龍着の特急列車の2等車に乗り込みました。前回は発車のベルが鳴るさなか、重い荷物を抱えて、走りながら跳び乗ったという経験があり、今回は早めのチェックイン。出国手続きを終え、待合室に入ろうとしたら、パスポートの提示を求められました。
「日本人はOKだ。」と言われ、中に入ったら、中国人も香港人も、みな、当たり前のように中でくつろいでます。待合室に入れないのは、いったいどこの国の人間なのだろうと、ちょっと訝りました。
前回は1等車のキップしかとれなかったので、周囲はビシネスマン風の客ばかり。2等車は圧倒的に本土からの家族連れが多く、広州の中産階級が確実に力をつけているのがわかります。僕の前は、10代の女の子がひとり。香港にどういう用事があるのか、興味を覚えるところです。
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テレビでもよく紹介される広州の清平市場 |
広州−香港間182km。2時間半の列車の旅は、新幹線に慣れた日本人には、やや牧歌的。香港が近ずくにつれ、自分でも、気持ちの高ぶりを感じます。
やがて深センの街が見え、その発展ぶりに目を見張っていると、列車は静かに国境を越えて、あの懐かしの、羅湖駅を通過しました。
香港に帰ってきたのです。
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広州の名刹、六榕寺 |
【大団円】
※ 以下は、旅行直後に書き記したノートです。香港返還について楽観的に触れていますが、返還の正確な評価など、あと50年も経たないと到底できないことなのでしょう。幸いなことに、1999年3月、返還後初めて香港を訪れたときには、いつものように、あの気高く、美しく、魅力的な香港の街が目の前にありました。 今回の旅行では、10日ぐらいの間に、香港、マカオ、汕頭、潮州、広州と、広東省の5つの街を慌ただしく駆け抜けました。同じ広東省にありながら、歴史や風土の違いから、それぞれの街が独自の色彩を放っていて、ユニークで個性的な文化を展開していることに目を見張りました。その基底には、南中国の、豊かで厚みある伝統が共通して横たわってはいるのですが、基本的な同質性よりも、表面に見える異質性に、常に目を奪われていました。
中国の広さ、歴史の複雑さに、あらためて感慨がおこります。
中国は、1昨年の夏、初めて訪れました。香港から入って、厦門(アモイ)、泉州、福州、広州と廻り、香港に帰ってきたのです。南中国に固執するのは、もともと東南アジアが大好きで、そこから中国に目覚めたからでしょう。
前回は意識の中にまったくなくて、今回常に意識していたのが、香港の返還問題です。前回は、返還までにまだ時間があったこと、僕の周囲でそのことが話題にはならなかったこと、などから、それは遠い先の出来事でした。
返還が現実に迫った今回は、意識の中に、いつも、そのことがありました。香港という街に恋をしてしまい、その運命に無関心でいられない以上、結局は、そのことを考え、自分なりに消化して行くことが、旅行の目的になってしまいました。香港の中だけでなく、マカオや中国の側からも見ることができたのは、とてもよかったと思っています。
結論から言えば、「返還はいいことだ」ということです。アジアの一画に、いまだに、植民地主義の残滓が残っていること自体、不自然で、これはやはり、今世紀中に解決しておくべき問題だと思っています。
すでに、(イギリス)本国より繁栄を成し遂げた香港が、イギリス人の支配を引き続き受けて行く理由はなにもなく、返還を躊躇する心理が、ただ共産主義は嫌だということであるのなら、その気持ちは充分理解できるにしても、結局はアジアの後進性を相変わらず引きずることになってしまう。
歴史の流れの中で、あるべき姿に戻るのであれば、部外者は、素直に受け止めればいい。香港の将来は、香港人と中国人が決めていけばいい。イギリス人は先ず、自らの歴史をきちんと清算すべきだ、という単純な主張です。
僕自身は、香港人の強さを信じています。いまの香港を作り上げたのは、苦難の時代をくぐり抜けて来た香港の人たちであり、その英知と強靱さは、たとえ体制が変わろうとも、簡単に揺らぐものではないということを確信しています。
その強さは、清朝末期から辛亥革命、抗日戦争、国共内戦、文化大革命と、苦難の世紀を経てきた大陸の人たちとも共通するものであり、あるいは香港の人たちよりも辛酸を舐めてきた大陸の人たちが、いま、成し遂げつつある成果を目の当たりにしていると、かりそめの国境で隔てられている両側の人たちが、うまくやっていけないわけがないと、楽観的な気持ちにもなるのです。
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香港のお隣り、深センの人々。香港人と同じくらいに素敵です。 |
僕が見た中国は、南中国沿岸部の市場経済が浸透した地域であって、それは広い中国のほんの一部に過ぎないのかもしれないけれど、それでも、そこには、豊かで平和な暮らしを営んでいる1億の人たちが確実に存在している。
2度の旅行で僕が出会った中国の人たちは、香港の人たちと同じくらいに魅力的で、僕の好きな香港は、そのイギリス的な部分ではなくて、豊かな伝統と文化に裏打ちされた中国的な側面だということを、強く認識させてくれました。
テンプル・ストリートで街頭謡曲に聴き入り、あるいは黄大仙の道教寺院で祈りを捧げている香港の人たちが、再び中国に帰るのだとしたら、それはやはり、とても自然なことだと思うのです。(大団円)
 
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