もう20年くらい昔になるんでしょうか。
当時、あっしは、神田明神下のあたりで岡っ引きをやっていたんですが、連雀町界隈に、どうも気になる女がおりました。
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おりん、という若い女で、近所の娘たちを集めて三味線を教えたり、夜は小唄なんかも教えてました。
わざわざ芝あたりから稽古に通ってくる商家の娘もいたくらい、まあ、評判のいい女。
ちゃちな1軒家に住んでいて、女ひとり、つつましく暮らしてました。
手習いごとの弟子以外、人の出入りする気配もなく、怪しげなところは無かったんですが・・・。
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なにか、ピンとくるものがあったのは、やはり十手を預かる者の、独特のカンなんでしょうか?
それとなく探りを入れるにしたがい、得体のしれない女だという気持ちが強くなっていきました。
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近所を聞き廻っても、いつ頃から居着いたかということがはっきりしねえ。
3年くらいだろうと言う者もいりゃあ、半年くらいだと言う者もいる。
なかには、寺子屋で一緒に十露盤を習ったはずだ、なんて言う者も出る始末。間尺に合わねえ話なんです。
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それでもなんとか、同心の中川純之新さんというお侍のつてを頼って、稽古に通っていた商家の娘たちに話を聞くことができました。
悪企みの容疑があるわけじゃねえ、ということで、あっしのような岡っ引き風情が、いきなり乗り込むわけにはいかなかった。
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まあ、中川の旦那には、それとなくわけは話したんですが・・・。
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で、いろんな人間の、いろんな話をつなぎ合わせても、どうもはっきりしねえ。
ますます、この、おりんという名の女のことが、わからなくなりました。
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ただ、和泉屋という呉服問屋の、17になる娘、お慶の話によると、どうもおりんには、異国訛りがあるらしい。
それから、稽古中に、ときどき、ぷいと席を立ってしまうとか・・・。
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ある日、お慶が、それとなく探ってみた。厠に行ってる様子でもねえ。
おかしく思い、こっそり2階に上ってみると、聞いたこともねえ言葉が聞こえてきた。唐の国の言葉じゃねえか、とお慶は思ったそうです。
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喋っているのは、確かにおりん。だが、おかしなことに、相手がいない。まるで、独り言のようだった、と。
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あっしは、はたと膝を打ちました。「切支丹」というのが、あっしの見立てでした。
当時もいまも、御法度のはずの耶蘇教を念じている輩は、細々とだけど、後をたちません。 |
伴天連の妖術を使って、近所の者や弟子たちの目くらましをしているのだと考えれば、すべて平仄が合うわけです。
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唐の国から、禁を破って江戸に流れてきた切支丹!
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これで、おりんをしょっぴく理由ができたわけです。番屋に呼び出し、石を乗せて責め立てれば、白状するに違えねえ。
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あっしは、勇んで連雀町に出かけて行きました。
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